28日のブログ

毎月28日に更新します。

What's in my pouch?~アラサーOLの研ぎ澄まされたポーチの中身~

中高生の頃は私服で出かける機会があまりなかったので、使うバッグが限られていました。

ボロボロになったら買い替えるみたいな感じで、塾用と遊ぶ用の2つくらいしか持っていなかったのではないでしょうか。

大学生の頃も結局バカでかいリュックかトートバッグの2択。肩の神経死んでました。

 

だけど、大人になると様々なシーンによってバッグを使い分けるじゃないですか。

 

良い感じのお店へランチやディナーへ行く時は小さめのハンドバッグ。

今日は手ぶらで散歩したいなという時はショルダーバッグ。

休みだけど打ち合わせや勉強会がある日は大きめのリュック。

歯医者へ行く時は次回の予約日を決められるように手帳を持って行くからA4サイズが入るくらいのトートバッグ。

 

なんか歯医者だけすごい文字量。

 

まあとにかくバッグの量が増えました。最近はとりあえずユニクロのドローストリングショルダーバッグですね。あれほんと使いやすい。

黒いバッグはいろんな素材・形のやつをこんなに使うか?ってくらい持ってる。そして全部使ってる。

あとキャンバス地のトートバッグ。死ぬほど持ってる。あれ黒以外だとデニムジャケット着た時、持ち手にデニムの色移っちゃうね。それだけ注意ね。

母から30年以上前に買ったハイブランドのバッグとかもいただいちゃったりして。

で、実家を見渡すとバッグまみれなんですよね。バッグ好きの血筋。だから「また買ったの?!」と、お互いを監視し合ってます。

母からバッグいただいたとか書いたけど、A地点からB地点にスライドしただけ。

 

で、ここ数年明らかに忘れ物が増えました。

それはなぜか、出かけるたびにバッグを変えるようになったから。

 

もう家まで引き返せないくらいの距離で「あ~リップクリームあのバッグの中だ~(T_T)」みたいなの、あと何回繰り返すんだろう。

逆にポーチの中身に気を取られ過ぎると、その日友達に渡したかったものとか平気で忘れるじゃないですか。何なの。

 

そこで考えました。ポーチ内のスターティングメンバーを決めておくべきだと。

 

ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返し、やっと本当に必要なものが定まってきました。

1つのポーチに全部入れておいて、それを移動させるだけ。これで全て解決します。

最近たびたび私のポーチの中にあるもので相手から感謝されたり自分自身が助かったこともあってうれしかったので、誰も興味ない可能性もありますがポーチの中身をご紹介いたします。

番号振ろうと思ったんですけど、見づらすぎたのでやめました。何となくの流れで書いたので、どうか察してください。

 

①ポーチ(niko and…/ザ・ビートルズ レコードポーチコレクション)

10年ほど前に購入。ビートルズの曲もグッズも大好きです。

ブラインド商品だったので柄違いで3つ持っているのですが、絶妙に使い勝手のよいサイズ感で重宝しています。

小さめのバッグにも入り、しかもファスナーが付いてるので本当に便利。

巾着も好きなのですが、絞る部分が微妙にかさばるんですよね。

大人になってから大きいバッグを使う頻度が減ったので、大変ありがたいポーチです。

私にとってマチなし・ファスナー付きポーチは正義。

 

②鏡(ロージーローザ/リアルックミラー コンパクト)

高反射で見たままの肌色に見える鏡らしいのですが、バカなのであんまりよく分かりませんでした。

今まで100均で買った貝殻の形のファンシーな鏡(それぞれの面に普通の鏡と拡大鏡が付いてて便利だった)を使っていたのですが壊れてしまったため、程よいサイズ感の鏡を探していたところこちらを発見。

とにかくサイズ感がいい。あと簡単に割れなさそう。それだけの理由です。

 

③リップクリーム(ニベア/ディープモイスチャーリップ)

もう何本使い切ったことでしょうか、ここ10年これしか使ってません。

朝塗ると、冗談抜きで夕方くらいまで塗り直さなくても大丈夫なくらい保湿力が高いです。さすがニベア

これのもっと保湿力の高いバーム型のやつもリピートで買ってます。

香り付きも何度か買ったけど、やはり無香料最強説。

 

④リップカラー(ボビイブラウン/リュクスリップスティック)

昔から何のリップを使っても唇の皮が剥けやすいのですが、これは本当にすごい。全然荒れない。

今流行りのリップモンスター全然落ちなくていいけど、乾燥が気になったので多少落ちてもこっちの方が合ってるのかなと思いました。

某アパレルショップ店員さんが「ボビイのリップは本当に荒れない」とおっしゃっていたのがよく分かった。このリップと出会って、こまめに塗り直すというレディの習慣がつきました。

 

⑤コーム(ビジネスホテルのアメニティ)

折り畳みじゃなくて、柄(え)が付いてる小さめのコームってあんまりなくないですか?

私の毛量が多いせいか、折り畳みコームだと連結部分がガタガタしてしまって髪梳かす前にコームぶっ壊しそうになるんですよね。

どこのホテルかも忘れましたが、アメニティで私が求めている完璧なものを見つけたので迷わず2ついただいてきました。

これも少し斜めにすればポーチに収まるので最高。一生一緒にいてくれや。

 

⑥ハサミ(ケプト/フッ素コートハサミ)

たまたまロフトで見つけて買ってみたのですが想像以上によかったです。

何か買ってすぐ使いたいからタグ切りたい時とか、着ている服の縫い目がちょっとほつれて糸が出ている時なんかにとても便利。

しかもフッ素コートだからテープを切ってもベトベトしないという性能高めのハサミです。これは会社用のポーチにも入れてます。

一時ペン型のハサミとか流行りましたけど、結局ハサミの形をしたハサミが一番切りやすい。てこの原理に感謝。

 

⑦飴3つ

鼻の奥と喉の入口あたりが垂直に交わる部分が急に乾燥して、水を飲んでも咳が止まらなくなる時あるじゃないですか。

私はあるんですけど、その時ってもう飴をなめるしか咳を止める方法がないんですよね。

電車でなった時、本当に地獄ですよ。高校生の頃それになって、その時代はまだホームに売店があったので助かりましたが今はほとんどないですからね。3つくらい入れておくと人にもあげられるので便利です。

ちなみにこの前、同じような症状に見舞われた友人に渡したところ感謝されました。みんなも飴ちゃん持っときや!!!

 

⑧目薬(ロート/ビタ40α)

普段デスクワークなのでとにかく目が乾きやすく、裸眼に使えて目に優しい感じの目薬を常備しています。

これも10年以上使っていると思います。特にこだわりはありません。だいたいどこのドラッグストアでも280円くらいで買えるのがありがたい。

 

⑨鎮痛薬(エスエス製薬/イヴA錠)

これないと終わる。外出前はポーチというかバッグの中に必ずイヴが入っていることを確認します。

1年のほとんどを頭痛に悩まされているので、持ってなかったら出先で買うレベルの必需品です。

私はイヴがなくて地獄を見たことが何度もあります。アーメン。

 

デンタルフロス(ライオン/クリニカ スポンジフロス)

歯間に個性があるタイプの人間なので食べ物が詰まりやすく、痛みを感じることも多いので持ち歩いています。

これは唾液でフロスが膨らむので、使い慣れない人にもおすすめです。

 

⑪マスクスプレー(生活の木/ミント&レモン マスクスプレー)

夏に使うことが多いのかもしれませんが、私は年がら年中使ってます。

仕事中のリフレッシュにもなるし、花粉が飛んでる時期はミント系の香りのスプレー吹きかけるとちょっと症状おさまって楽になります。

生活の木のマスクスプレーが特にお気に入り。どれも自然な香りで使いやすくて癒されます。

 

⑫目に効く系のサプリ(DHC/速攻ブルーベリー)

オタクの必需品!みたいなのを見て、オタクなので買いました。

普段から目が疲れているので現場で目が霞むことが多々あったのですが開演30分前にこれ飲んで目薬さしておくと、たしかにクリアに見える…かも…?

 

⑬絆創膏(ニチバン/ケアリーヴ やさしい素肌タイプLサイズ)

かかと変色してるくらい靴擦れしやすいので常備してます。

たまに履き慣れたスニーカーとかでもかかとえぐれる時ある。なんで?

靴擦れ以外でも怪我した時に使えるし、何よりかさばはないので持っておいて損はないです。

 

 

以上、アラサーOLのポーチの中身でした。

ご参考までにと言うのもおこがましいので、ポーチの中身紹介して自己満足している三十路が今日も生きているという生命の息吹を感じてください。

 

 

は?

生活の備忘録

何も思いつかない。

 

いつもだったら遅かれ早かれ書きたいことについて何となく考えるのに、今月はただ時間が過ぎていくだけ。自分の心の中に引っかかるものがない。

 

いや、実は書きたいことはいくつかある。

だけどそれについて書く時期や熱量が今ではなく、今月分のトピックが必要なのです。

 

こういう時、役に立つのが以前いただいたお題のストック。

ひとまず眺めてみるが、ここにも筆が進みそうなものはない。(大変申し訳ございません)

 

ダメだ、なんかもうとにかく長い文章書く気に全くなれない。脳の動きがゆっくりすぎて。

こんなの書き留めたって仕方がない今の自分の状況くらいしかお伝えすることがない。

 

何について書こうか考えると、頭の中に自然豊かな景色が浮かんでくる。

 

ここは西武池袋本店の屋上にある、食と緑の空中庭園

昼下がり。外にいるにはちょうどいい気温の中、季節の花々が風に揺れている。

ベンチに座ってのんびりする人もいれば、元気に走り回る子どもの姿も見られる。

一通り観賞した後は、空を眺めながらコーヒーを飲む。

 

1〜2年前、仕事に忙殺されてしまい毎日疲弊しきっていました。

何をしても心から楽しめなくて、どことなく空虚で憂鬱な日々。それでも生活は続きます。

少し前の自分だったら、そのまま飲み込まれて再起不能となっていたかもしれません。

はたまたどうにかして気を紛らわそうと無理やり音楽を聴いたり、映画や動画を観たり、過度な外的刺激を与えていたかもしれません。

それで気分が晴れることもあります。でもそんな対症療法は効かなかった。

 

コロナの流行で緊急事態宣言が出される少し前でしょうか。使っていたAirPodsが壊れました。

それまでは外へ出るとずっと耳にイヤホンを装着し、何かしらの音声コンテンツを聴いていました。

そんな私からしたら、この状況は「新しいAirPodsを買う」の一択です。

 

しかし、我々の日常は大きく変わろうとしていました。

得体の知れないウイルスに怯え、どの情報が正しいのか、何を信じればよいのか分からない時期。

新しいイヤホンを買う気どころか音楽を聴きながら外を歩く気にもなれず、私はイヤホンを着けることをやめました。

 

耳に若干の寂しさを感じながら会社へ向かう道中、今まで入ってこなかった音が聴こえてきます。

鳥のさえずり、車のエンジン音、仕事へ向かう人々の靴の音。

外にこんなにたくさんの音があったのだという驚きがありました。

 

それから、朝の少し冷えた空気が肌に触れる心地よさ。

イヤホンを外さなければ分からなかった感覚が蘇ったような気がします。

 

現代は音楽を聴きながら歩いている人の方が多いと思います。私もそうだったから。

ただ、その行為自体を否定したいわけではない。

もしイヤホンを忘れてしまった日があったとしても、自然の音は我々が思っている以上に楽しめるものだということ。それを共に覚えておきましょう。

 

自然は、仕事の疲れや漠然とした不安な気持ちからいつも救ってくれました。

今でも少し疲れたなと思うと、空中庭園へ行って何も考えない時間を過ごすようにしています。

 

1泊2日で京都へ行った今年の春。

月曜日の昼頃に時間を気にせず鴨川デルタを散歩する。

(本当はダメかもしれないけど)川沿いに咲く花を摘むおばあちゃんたちが可愛かった。

その後、数える程度しか客のいない串かつだるま京都ポルタ店で生ビールを流し込む。

本当に最高だった。仕事終わりと、年次有給休暇取得日に飲むビールが一番うまい。

平日の15時とかいう誰が酒飲むんだという時間も背徳感があって良い。

 

ここで、「ビールだけ自然じゃないのでは」と思った方はいらっしゃいますか?

ビールって麦芽ですからね、麦芽。超自然派飲料ですよ。

 

たまに浅草橋へ行って手芸店でビーズを買う。

浅草橋駅に着いた瞬間から、明らかに時間の流れ方が違うといつも感じる。

必需品ではないものの選定に時間をかけるのは、とても贅沢なことです。

ただ、ずっと見ていると三半規管激弱の私はだんだん酔ってくるので注意が必要。

 

そういえば、ビーズを買い始めたのもコロナがきっかけでした。

1本だけマスクチェーンが欲しくてずっと探していたのですがなかなか気にいるものが見つからず、じゃあ自分で作ってしまえと思い浅草橋へ向かいました。

作り始めたら止まらなくなってしまい、家族や友達にあげたことも。まだ着手できていませんが販売も考えています。

今は貴和製作所が至る所にあるので、浅草橋などの問屋街まで行かなくても材料調達できるのがいい。ハンドメイドのハードルがぐっと下がっています。キットもあるしね。誰でも作れます。

 

何の予定もない日曜日、部屋を無心で片付ける。

捨てても捨てても増えていく所有物を少しでも減らす、そして最近は増やさない努力もしている。ん、できてるか?いや、する予定。

ここ数年は家で仕事することも多くなり、できるだけきれいな状態を保ちたいのでこまめに掃除するようにしてます。

今は散らかりにくい部屋作りが目標で、収納の工夫に努めています。

 

そういう無心になれる時間が、私の心を救ってきた。

そしてきっと、人生にはこんな時間が定期的に必要なのです。

それを教えてくれたのがコロナならば、悪いだけのものではなかったと思います。

(今、自分が健康な状態だからそう思えるという前提はありますが)

 

昔から常に頭の中で考えを巡らせてしまうタイプなので、ボーッとする時間を設けることに難しさを感じていました。

今はあまり意識せず、のんびり過ごす時間を取れています。この歳になっても成長を感じられてうれしいです。

 

ってかさ、何も思いつかないと言って書き始めた内容が穏やかすぎない?

だからやっぱり何も思いつかないというのは、心身ともに落ち着いた状態なのではないかと思います。

最近はどこへ行っても何をしてても楽しいというか、穏やかな気持ちでいます。

 

自分にとっては良いことかもしれませんが、ブログ更新できないのはまずい。

来月はがんばります。なんか、社会に対してキレたりしておきます。

エネルギーについて

ここ1〜2年、なんか確実に年老いてるなと感じることが多いんですよね。

 

アメトーークとか水曜日のダウンタウンとか、好きなバラエティ番組を録画して後日観てるんですけど最近それがしんどくって。

何がしんどいかって言うと、効果音・カラフルなテロップ・演者のガヤガヤした声。

ずっと観てると疲れてしまって、終わる頃には全ての気力が底を尽いている。

1時間番組だったら10分経過したあたりで停止することもあります。10分だって良い方で、再生ボタン押した瞬間「無理ッ…!!!!」となることもザラにある。

相当元気な時じゃないと観られなくなって、本当に悲しい。

 

感動系の作品も苦手になってきました。

異変を感じたのは、2年前に「私ときどきレッサーパンダ」を観た時。

母が観たいと言ってて、ちょうどその時ディズニープラスに加入中だったから配信開始されてすぐ一緒に観たんですよ。

だから自分が待ち望んでいた作品ではないんだけど、観てみたいな〜という興味はありました。

ディズニー王道の家族愛をテーマにしたお話なのですが、終わった後の疲労がやばい。

感情の行ったり来たりが疲れる要因ではないかと思います。

とても感動して素敵な作品だとは思ったのですが、また観たいかと聞かれたら「結構です」と答えてしまう。

 

職場で同じ部署にいた私より10歳上の人が「感動するのが苦手でホラー映画ばっかり観ちゃう」と言ってて、当時26歳の私は「???」と思いました。そんなことある?って。

今その気持ちがやっと分かった。疲れるから無理だったんだね…。

 

よく25〜26歳あたりを「肌の曲がり角」と表現するけど、おそらく本当に様々な曲がり角なんだと思います。そこを境に急にできなくなることが多すぎる。

 

マクドナルドもなんか急に消化悪くなった。

バーガー系もよく噛んでるのに胸に詰まる感じするし、ポテトLサイズは最後の方窒息しそうになる。全然急いで食べてないのに。

 

ハーゲンダッツの季節限定とかもあんまり魅力感じない。中に入ってるこってりしたソースとか、上に乗っかった粉々のクッキーとかが疲れる。

結局バニラが一番なのかもしれないとは数年前から思ってた。 本当にそう。しかもハーゲンダッツのバニラは無添加らしいですよ。

 

バニラで思い出したんですけど、みなさんサーティーワンのバニラ食べたことありますか?

食べたことない人の方が多いんじゃないかと思うんですけど絶対食べて。

SNSとか見ると「サーティーワンでバニラ食べる人は貴族」みたいなこと書いてあるけど、食べれば分かる。バニラこそが頂点なのだと。

バニラあってのポッピングシャワー、ストロベリーチーズケーキ、ロッキーロード、キャラメルリボンラブポーションサーティーワンなのだと。

サーティーワンが好きだからこそ食べるべきはバニラです。

死に際に「実は…サーティーワンのバニラ…食べたことあるんだ…」って言えるの結構自慢になると思いますよ。

あとクッキーアンドクリームも最高です。クッキーがザクザクで、アイスクリームを超越してます。ぜひ!!!

 

香料とかもつらい。特にスキンケアで肌につけるものは無香料か自然由来のものを選ぶようになりました。

不眠がきっかけで使い始めたファブリックスプレーも、よく使うのはラベンダー・ヒノキ・ユーカリなどの香りです。

いろんな香りがブレンドされたやつも好きなんだけどね、これもテンション高めの夜じゃないと使えない。悲しい。

 

だけどさ、ジョーマローン。あれすごいね。

なんでこんなに高いの?って思っていたのですが、どれも繊細で香りがきつくなくて使いやすい。疲れてる時もガンガン使えそう。

香り系のプレゼントって難しいけど、これはどれあげても喜ばれるんじゃないかなと思う。

先日友人にあげたピローミストがとても癒される香りで本当によかった…カモミールのやつ…自分用にも欲しい…なんか成し遂げたら買おうかな…(まずは成し遂げる予定から作ります)

 

上記のように、自身の生命活動における諸々のエネルギー不足を感じています。

今に始まったことではありませんが、世界においても長きにわたりエネルギーの資源不足が叫ばれています。

火力、水力、風力、地熱、太陽光、そして原子力。様々なエネルギーから電力が生み出されています。

発電には環境汚染・破壊などのリスクを伴います。しかしながら、我々の生活に必要不可欠なものです。

限りある資源を有効活用し、環境保全する方法は何か。

 

省エネです。

 

地球だけでなく私自身もそうで、日頃からエネルギー消費を抑えることでここぞという時に活用できるのではないか。

ではどうやって省エネルギーを実現しているか。

最近は10年前のラジオ番組をひたすら聴いてます。なんか、逆に老化が加速しそう。すぐボケそう。10年前なので話題に上がるのは、TPP・レアアース・まもなく新発売のiPhone3について。たまに自分がいつの時代を生きているのか分からなくなる時があります。

 

私は無音の状態で寝られないので睡眠の質が下がると思いつつもラジオを流しっぱなしにして寝ているのですが、朝起きて「私って今何して生きてたんだっけ?」と思う時が結構な確率である。まじで。

まあ朝そう思うだけで歯を磨き始めたあたりで「あ、仕事行くんだった」となるのでそこまで支障はありません。大人だからね。

 

よく税金について小中学生のうちから学校で教えてほしいなんてことを聞くけど、老化現象についても知りたかったかな。

こんなことになるなら形保てないくらいバターでビッタビタにしたトーストもっとたくさん食べればよかったな〜とか、あとは何だろう。ちょっとすぐ思いつかないな。あれ、ひょっとしてこのすぐ思いつかないのも老化…?

 

"老化"という文字を見ただけで体内が徐々に錆びついていく感覚すらある。

老化を意識すると迫ってくるし、かといって遠くへやろうとすると若ぶってるような感じもする。難しいな人生。考えすぎなのかもしれないけど。

 

「残りの人生で今日が一番若い」という言葉があります。

たかが今日、されど今日。こうしている間にも刻一刻と人生のタイムリミットは迫っているわけです。

そんな日々怯えながら生きている私が老化しているかしていないかを確かめることができる尺度を発見しました。

 

ピザポテトです。

 

天才だよね。カルビーの最高傑作だよねもう。幼少の頃から大好きです。

あの黒光りするパッケージから"大人の食べ物感"も漂っていたし、普通のポテトチップと比べるとちょっとだけ高いから特別感もありました。

 

ピザポテトってほぼピザ味の粉かチーズの味しかしないと思うんですけど、7割くらい食べ進めたあたりでわずかにまぶしてあるバジルの味を感じるんですよね。

これを"ピザポテトの向こう側"と呼んでいます。(今初めて呼んだ)

 

たまにチーズペーストでギットギトになったやつに当たるけど、私はあれをあまり味のしなさそうな大きめの1枚と一緒に食べるのが好きです。

チーズ付いてないけどピザ味の粉をすごいまとったやつも好き。ああもう全部好き!

 

ピザポテト買って後悔したこと一度もないもんなぁ。

なんかたまにあるじゃないですか、好きな食べ物買ったけど今の気分とちょっと違ったかも〜みたいな。ピザポテトにおいてはそれが起こったことない。

毎日ピザポテトの気分だし、瞬時にピザポテトの気分に切り替えられる。もしかしたら私、能力者かもしれない。ピザポテトはそんな根拠のない自信さえ与えてくれる。

 

ただ、そんなピザポテトも悲しいことに決して健康的な食べ物ではありません。

カロリーは60gで332kcalとのこと。まだ菓子パン食べた方が満足度高い。

そんでもってあの強烈な濃いめの味付け。その上ピザ味の粉が身体に良いわけない。いつか食べられなくなることが決まっているようなもの。

 

ピザポテトが食べられなくなったら、この世に存在する意味がない。

だって私は、ピザポテトを食べるために生まれてきたのだから。

でも、目の前にピザポテトがあるのに食べられなくなってしまう日が来るってこと?

そんなの絶対に嫌だ。ピザポテトを食べるために生まれたんだもん。

え、でもさ、ひょっとしたら先にピザポテトが販売終了になる未来もあり得る…?

 

ピザポテトが食べられない自分自身を憐れみながら生きるのか、ピザポテトが存在しない虚無の世界を生きていくのか。

 

そんなの選べないし、選びたくない。いったいどうすればよいのか。

ピザポテトのために、この身を差し出したって構わない。

ピザポテトよりも先に自分の生涯を終わらせることも厭わない。

いや、そんなことをしたってピザポテトは喜ばないだろう。

でも、私なんてピザポテトを愛する人々の中の端くれにしか過ぎない。

ピザポテトが喜んでくれるだの喜んでくれないだの考えること自体がおこがましいのである。

 

でも、でも…

 

 

 

このピザポテトへの熱意、エネルギーに変換されませんか?

締切論

この文字面を見ただけで虫唾が走る人も多いのではないだろうか。

 

誰もが何かの締切に追われて生きている。

私もその一人である。なぜ今回もブログ投稿2日前に急いで文字を入力しているのか。

 

月1更新ということは、毎回30日ほどの猶予が与えられている。

30日もあれば、3,000~4,000字を書くことなんて容易だ。

頭では分かっている。でもそれができない。

 

締切とは何のためにあるのか。

"締切 理由"(愚問すぎ)と検索したところ、「人生自体に締切がある」という芯を食い過ぎたことを書いている人がいた。全くそうである。

さすがにそれでは話が終わってしまうので今回は一旦無視。

 

最近たまたまYouTubeのおすすめに出てきた、酒村ゆっけ、氏の動画にて締切の全てが語られていた。(再生ボタン押したら該当箇所から再生されると思います)

youtu.be

 

私もたびたび経験しているが、もはや締切過ぎてるんじゃないかくらいの状況で書き上げた文章の完成度というものは異常である。

ギリギリで書いてるから適当な文章なのでは…という疑問が生まれそうだが、決してそんなことはない。

締切がジリジリと迫る時、アドレナリンやドーパミンが分泌されている。確実に。

 

あと私の場合は深夜26~28時の間に様々な作業が捗りやすい傾向にある。

たとえば23時から作業に取り組んだとすると23~25時くらいまではダラダラしてしまうが、26時ごろから突如エナジードリンクを飲んだような集中力が漲ってくる。もしかしたら前世が狼なのかもしれない。

 

以前、当月分を投稿してからすぐ来月分の執筆に取り掛かったことがある。

2週間ほどして投稿できる形となった。しかし私はその文章を全て消し、全く別の文章を書き始めた。

おそらく投稿の2~3日前のことだったと記憶している。今でもその選択は正解だったと思う。

時間をかけて書いた文章を見返した時、ものすごい虚無感に襲われることがある。

私こんなことが書きたかったんだっけ…?と、疑念を抱いてしまうのだ。

 

元々文章を書くことが好きなので、大学生の課題の代表格・レポートはそこまで苦ではなかった。

テストは制限時間内に終わらせなければならないという緊張感にいつも気持ちが負けてしまうので、文章を書くだけで評価してもらえるのは非常にありがたかった。

当然評価に関わるので期日までに仕上げて提出していた。

(1回だけ、1文字も書けていない状態で起床したら提出2時間前になっていたことがあってさすがにそれは焦った)

 

ということは、このブログも週1や月2ペースの更新にすればもっと充実した内容をお届けできるのではないか。

いやでも今は状況が違う。週5日フルタイムで働くOLにはハードルが高すぎる。

あくまで時間を持て余していた学生時代にできたことなのであって、想像しただけで精神が崩壊しそうだ。

 

それはともかく締切があることによって、さらに締切が自分の顔の目の前まで迫ってきている時、人間は自身の持つ力を150%発揮できるのではないか。

茹でた麺も冷水で締めるとおいしくなるし。(???)

ただ、そんな締切ギリギリ肯定派の私でも気を付けていることが1つある。

 

このブログの締切は、投稿前日にあたる27日。

好きなライターさんが「執筆後は一旦寝てから納品」とおっしゃっていて、深く共感したためずっと守っている。

たしかに毎回ざっと読み返した時、いつも2~3箇所は誤字脱字が見つかるのでこの作業は必須である。

 

都市伝説的な話ではあるが、ハウルの動く城のテーマ曲「人生のメリーゴーランド」は久石譲が締切間際のギリギリの状況で作曲したらしい。

あまりに規模感が違い過ぎて想像ができない。ってか久石譲も人間なんだな…。

 

文章を書く仕事がしてみたいと今でも思うが、仕事になった途端に何も書けなくなってしまう自信しかない。

やはり私には自ら定めた締切に向かって奮闘するのが合っているのだと思う。

 

書籍を出版する文豪には到底及ばない。

芥川は、太宰は、漱石は、どんな気持ちで数々の名作を書き上げたのだろう。

漱石は持病があったけれど、締切って精神的に良くないものなんだきっと。

小さな締切が、己の"人生の締切"を短くしているのではないか。普通に病むし。

 

このような話をしていて最終的に私が思い出すのは、「夏休みの宿題理論」である。

「夏休みの宿題」というスパイスがあることで、休みを楽しむことができるという考え方。

たしかに何の制限もないと際限なくだらけてしまいそうで怖い。まあ時にはそれも大事だけど。

毎日働いていると「もう一生仕事しないで毎日遊んで暮らしたいな…」と思うことがたまにあるが、結局のところ有休消化などの期限付きの余暇が一番楽しい。

少し先に見える現実が、束の間の休みを素晴らしいものにしてくれる。

 

結論としては、締切は設けるのも守るのも大事。

多少のストレスは日常生活に必要不可欠で、我々の原動力と言っても過言ではないだろう。

 

とりあえず、今回を超えるギリギリ加減はもう経験したくない。(n回目)

嗚呼、我が愛しのデニーズよ

最寄り駅にデニーズがオープンする!

 

その知らせを聞いたのは、私が小学5年生の時である。

私の住む街はちょうど東京の中央部。

いわゆる大都市と呼ばれる場所へのアクセスがよく、なおかつ庭園や植物園などといった自然を有する施設が多くある。

そんな街で、私はずっと育ったきた。

 

ただ一つ難点を挙げれば、近くにあるべきものが遠い。

まず一番近くにあるコンビニが歩いて10分のところにある。

二番目に近いコンビニは距離にすると5分もかからないのだが、なかなか変わらない信号が邪魔をして結局10分かかってしまう。

(その信号は22時以降になると押しボタン式になる)

 

マクドナルドもない。ないというか、なくなってしまった。

以前は駅前と、駅から少し離れたオフィスビルに1店舗ずつあり、どちらも繁盛していたように見えていたが次々と閉店してしまった

両隣の駅にはあるのに、最寄り駅にはないのだ。

近年は友人や職場の同僚と「最寄り駅にマクドナルドがない問題」がしばしば議論に上がるため、どうやら複数の地域でこの現象が起きている模様。

マクドナルドの立地戦略部門の方に一度話を伺ってみたい。

 

しかも私の父はマクドナルドの株を所有しており、半年に一度株主優待として無料券が数セット届く。

その券を使うために隣駅にあるマクドナルドまで、わざわざ足を運ばなければならないのである。

 

基本的に早い安いうまい系の食べ物にあまり労力を使いたくない。

しかし「マックを食べたい」という軽い気持ちを抱いてしまうと「隣駅まで行かなければならない」という現実があるため、私はマックを食べたいという気持ちにならないように自分を厳しく律している。正直、その方が楽である。

また最近では外出先でマクドナルドを見つけると、隙あらば入店するようにしている。

いわば、私の人生においてマクドナルドを摂取できる貴重な機会だからである。

 

都心なのに不便で何もない、そんな街にファミレスができる。

ジョナサンでもなく、サイゼリアでもなく、デニーズ。

初めて耳にするその名前に愛おしさすら感じた。

私はその日から毎日パソコンでデニーズについて調べた。

初めて行った日はこれを食べよう、次はこれで…と考えていると、不思議と心の底から穏やかな気持ちになれた。

 

オープンして数週間、いよいよその時が来た。

私はチラシについていたキャラメルハニーパンケーキの無料券を握りしめ、母と妹と初めてのデニーズへ向かった。

きれいな店内、暖かみのある照明、店員さんの元気な声。そして、その時食べたパンケーキの味を今でも忘れない。

 

それからも私はデニーズをよく利用している。

特に高校生の頃は受験勉強でよく長居をした。

学校の近くにあるデニーズで友人と食事をした後、最寄り駅のデニーズで夕飯まで勉強をするというデニーズとデニーズのはしごをしたこともある。

地元にあるという安心感から、私は他の場所にいても真っ先にデニーズを探すようになっていた。

しかし、なぜか心が満たされない。

最寄り駅のデニーズが一番居心地よいのである。

 

 

そうか。私はデニーズが好きなんじゃなくて、ここのデニーズの接客が好きなんだ。

 

 

季節のおすすめメニューを丁寧に説明してくれる人。

どの店舗よりも早くお冷を注ぎに来る人。

レジでお釣りを渡し終えた後も笑顔で挨拶をする人。

年齢もさまざまで、土地柄お子さんのいる主婦の方や近くの大学に通う学生が多い印象だが、とても丁寧に接客してくれた店員さんが高校の制服を着て帰る姿を見て驚くこともあった。

 

そんな人たちだから、長居をとがめることもない。

それについつい甘えてしまうのが私である。

入試の前日に9時間以上いたこともあった。

それでも何も言わずお冷を注いでくれたり、新しいおしぼりを持ってきてくれた。

 

さすがに申し訳ないと感じた私は、よくデニーズへ一緒に行っていた友人と長居のお詫び・お礼としてディズニーランドで購入したおみやげを渡した。

店員さんは「逆に申し訳ない」と言いながら、優しく微笑んでくれた。

私は自分たちの罪がようやく滅ぼされたことに少し安心した。(滅ぼされたと思うあたりがまだまだ子ども)

すると数分後、その店員さんが再び私たちの前に現れた。

 

「これは私からの合格祝いです。」

 

トレーの上には、2種類のアイスにいちごのトッピングがされたものが2つ。

9時間も居座ったあの日より、申し訳ない気持ちになった。

 

大学生の頃もレポートの〆切が迫ると決まってデニーズへ行っていた。

忘れもしない大学3年生の冬、当時どの授業よりも真面目に受けていたジェンダー論のレポートで上から2番目であるA+の評価をもらえたのは間違いなく最終チェックをデニーズで行ったからだと思う。

 

この頃から他のファミレスで言うところのドリンクバーと同じ制度“ドリンクおかわり自由”はなくなり、店員さんの入れ替えも少しあったが接客レベルが落ちたことは一度もない。

 

2023年、そんな愛しのデニーズが開店20周年を迎えた。

客側として今まで閉店の危機を感じたことは一度もなかったが、チェーン店であっても同じ土地で20年営業を続けられるのは簡単なことではないはずだ。

直近で言えば、飲食店が大打撃を受けたコロナ禍を乗り越えたのは店舗の歴史に刻まれるほどのことと言っても過言ではない。

 

もっとびっくりするのは10年以上働いている店員さんが何人もいるということだ。

おそらく開店当初から働いている人もいるのだろう。

たしかに、とても忙しいランチの時間帯なのに店員さん同士が笑顔で会話しながら仕事している姿をよく見かける。

働きやすい環境のお店に行くのは、客としても気持ちの良いことだ。

 

令和になってもこの街は相変わらず不便である。

自宅付近にコンビニはできず、相変わらず野良猫・タヌキ・ハクビシンが道を横断している。(実話)

ただこの歳になり、住む街の治安の良さは何にも代え難い価値であることに気づく。

近くにコンビニやスーパーがない方がきっと日々穏やかに過ごせるだろう。

 

先日母とデニーズでランチをした際、20周年記念のステッカーをもらった。

店員さんは「これからもよろしくお願いいたします」と言いながら渡してくれた。

 

不便で何もない分、この街はいつも人が温かい。