何も思いつかない。
いつもだったら遅かれ早かれ書きたいことについて何となく考えるのに、今月はただ時間が過ぎていくだけ。自分の心の中に引っかかるものがない。
いや、実は書きたいことはいくつかある。
だけどそれについて書く時期や熱量が今ではなく、今月分のトピックが必要なのです。
こういう時、役に立つのが以前いただいたお題のストック。
ひとまず眺めてみるが、ここにも筆が進みそうなものはない。(大変申し訳ございません)
ダメだ、なんかもうとにかく長い文章書く気に全くなれない。脳の動きがゆっくりすぎて。
こんなの書き留めたって仕方がない今の自分の状況くらいしかお伝えすることがない。
何について書こうか考えると、頭の中に自然豊かな景色が浮かんでくる。
昼下がり。外にいるにはちょうどいい気温の中、季節の花々が風に揺れている。
ベンチに座ってのんびりする人もいれば、元気に走り回る子どもの姿も見られる。
一通り観賞した後は、空を眺めながらコーヒーを飲む。
1〜2年前、仕事に忙殺されてしまい毎日疲弊しきっていました。
何をしても心から楽しめなくて、どことなく空虚で憂鬱な日々。それでも生活は続きます。
少し前の自分だったら、そのまま飲み込まれて再起不能となっていたかもしれません。
はたまたどうにかして気を紛らわそうと無理やり音楽を聴いたり、映画や動画を観たり、過度な外的刺激を与えていたかもしれません。
それで気分が晴れることもあります。でもそんな対症療法は効かなかった。
コロナの流行で緊急事態宣言が出される少し前でしょうか。使っていたAirPodsが壊れました。
それまでは外へ出るとずっと耳にイヤホンを装着し、何かしらの音声コンテンツを聴いていました。
そんな私からしたら、この状況は「新しいAirPodsを買う」の一択です。
しかし、我々の日常は大きく変わろうとしていました。
得体の知れないウイルスに怯え、どの情報が正しいのか、何を信じればよいのか分からない時期。
新しいイヤホンを買う気どころか音楽を聴きながら外を歩く気にもなれず、私はイヤホンを着けることをやめました。
耳に若干の寂しさを感じながら会社へ向かう道中、今まで入ってこなかった音が聴こえてきます。
鳥のさえずり、車のエンジン音、仕事へ向かう人々の靴の音。
外にこんなにたくさんの音があったのだという驚きがありました。
それから、朝の少し冷えた空気が肌に触れる心地よさ。
イヤホンを外さなければ分からなかった感覚が蘇ったような気がします。
現代は音楽を聴きながら歩いている人の方が多いと思います。私もそうだったから。
ただ、その行為自体を否定したいわけではない。
もしイヤホンを忘れてしまった日があったとしても、自然の音は我々が思っている以上に楽しめるものだということ。それを共に覚えておきましょう。
自然は、仕事の疲れや漠然とした不安な気持ちからいつも救ってくれました。
今でも少し疲れたなと思うと、空中庭園へ行って何も考えない時間を過ごすようにしています。
1泊2日で京都へ行った今年の春。
月曜日の昼頃に時間を気にせず鴨川デルタを散歩する。
(本当はダメかもしれないけど)川沿いに咲く花を摘むおばあちゃんたちが可愛かった。
その後、数える程度しか客のいない串かつだるま京都ポルタ店で生ビールを流し込む。
本当に最高だった。仕事終わりと、年次有給休暇取得日に飲むビールが一番うまい。
平日の15時とかいう誰が酒飲むんだという時間も背徳感があって良い。
ここで、「ビールだけ自然じゃないのでは」と思った方はいらっしゃいますか?
たまに浅草橋へ行って手芸店でビーズを買う。
浅草橋駅に着いた瞬間から、明らかに時間の流れ方が違うといつも感じる。
必需品ではないものの選定に時間をかけるのは、とても贅沢なことです。
ただ、ずっと見ていると三半規管激弱の私はだんだん酔ってくるので注意が必要。
そういえば、ビーズを買い始めたのもコロナがきっかけでした。
1本だけマスクチェーンが欲しくてずっと探していたのですがなかなか気にいるものが見つからず、じゃあ自分で作ってしまえと思い浅草橋へ向かいました。
作り始めたら止まらなくなってしまい、家族や友達にあげたことも。まだ着手できていませんが販売も考えています。
今は貴和製作所が至る所にあるので、浅草橋などの問屋街まで行かなくても材料調達できるのがいい。ハンドメイドのハードルがぐっと下がっています。キットもあるしね。誰でも作れます。
何の予定もない日曜日、部屋を無心で片付ける。
捨てても捨てても増えていく所有物を少しでも減らす、そして最近は増やさない努力もしている。ん、できてるか?いや、する予定。
ここ数年は家で仕事することも多くなり、できるだけきれいな状態を保ちたいのでこまめに掃除するようにしてます。
今は散らかりにくい部屋作りが目標で、収納の工夫に努めています。
そういう無心になれる時間が、私の心を救ってきた。
そしてきっと、人生にはこんな時間が定期的に必要なのです。
それを教えてくれたのがコロナならば、悪いだけのものではなかったと思います。
(今、自分が健康な状態だからそう思えるという前提はありますが)
昔から常に頭の中で考えを巡らせてしまうタイプなので、ボーッとする時間を設けることに難しさを感じていました。
今はあまり意識せず、のんびり過ごす時間を取れています。この歳になっても成長を感じられてうれしいです。
ってかさ、何も思いつかないと言って書き始めた内容が穏やかすぎない?
だからやっぱり何も思いつかないというのは、心身ともに落ち着いた状態なのではないかと思います。
最近はどこへ行っても何をしてても楽しいというか、穏やかな気持ちでいます。
自分にとっては良いことかもしれませんが、ブログ更新できないのはまずい。
来月はがんばります。なんか、社会に対してキレたりしておきます。