※2015~2016年ごろにいただいたお題より
14歳の頃から、お笑いコンビのチュートリアルが大好きだ。
彼らを知ったのはMー1グランプリで優勝したことによる、いわゆるMー1バブルの時期で、残念ながら「優勝までずっと見守ってきました」系の古参ではない。
なんとなくテレビを眺めていて、なんとなくかっこいい芸人さんがいるな〜と思っていたら、それが徳井義実だっただけの話である。
それから約14年。小さい頃からお笑い好きということに変わりはないが、ここまで好きな気持ちが続いているのはチュートリアルだけだ。
話は戻るが、私が「徳井義実大好き芸人」だということは周知の事実であると認識している。
特に中学生の頃からの友人には、その印象しかないような気もする。
もちろん福ちゃんも好きだし、2人の関係性が何にも替えの効かないまばゆい光を放つジュエルのような存在ということが最大の魅力なのだが
どちらかと言われれば…どちらかと言われてしまったら…私は「よっきゅん(※)推し」である。
(※「よっきゅん」は徳井の愛称)
徳井の魅力は「アブノーマルさ」だと勝手に思っている。
言葉選びや表現の仕方が独特で、妄想に長けている(?)ところにも魅力を感じる。
芸人では珍しくないかもしれないが、躊躇なくきつめの下ネタを言っているところも清々しい。
徳井が自分のことを「変態です」と公言する姿は、とても眩しく見えた。
小さい頃から私は「変わってる」と言われることが多かった。そして自覚もしていた。
周りとの「温度差のようなもの」に気づいたのは幼稚園に通い始めた頃だ。
どうやら私はみんなとは少し「違う」ようだと。この表現が合っているかも分からない。
ただ、確実に「浮いている」ということは感じていた。我ながら早すぎる気づきである。
かといって「普通」が分からない。というか普通って何?という感覚は昔から持っていたように思える。
中学生になって私は、ますます「周りとの差」を感じていた。その差は何から生じているかも分からない。
「周りとの差」を感じているこの感覚さえも、おかしいのではないかとも思った。
今思えば、それはいわゆる「アイデンティティの確立」の途中だった。
学校では毎日生きづらさを感じていたが、家でチュートリアルが出ているテレビ番組を見ると画面越しに徳井が「そのままでええよ」と言ってくれているように思えた。
多感な時期に「徳井義実の変態性」に触れ、自分を認めることができたのだから、徳井の存在はアイデンティティ形成過程で間違いなく私を救ってくれた。
(形成後も、変わり者扱いされることは現在も続いているが…)
15歳の時、私は初めて劇場でチュートリアルの漫才を観ることになる。
その時の記憶は全くない。なんのネタをしたのかも記憶にない。鮮明に覚えているのは、ライセンスが一緒に出ていたということだけだ。
実はそうなるのにも理由がある。その漫才を観た後、私は徳井と遭遇してしまった。ルミネ2で。
劇場を出た後、エスカレーターに乗っていたら隣にいた友達が
「ねぇ!!!徳井さん!!!!!」
と囁くように大きく叫んだ。
一緒に行った友達はライセンスが大好きで、やれやれ…興奮して頭がおかしくなってしまったのだろう…と思っていたら目の前には本当に徳井さんがいた。
徳井さんはアパレルショップでリュックを見ていた。そしてそのリュックを背負い、鏡に映る自分を見ていた。
その店を出た瞬間に私は徳井さんに声をかけ、サインをもらった後に握手までしてもらった。
当時、いつどこで芸人さんに会っても大丈夫なように常にサイン帳を持ち歩いていた。
「備えあれば憂いなし」とは、まさにこのことであろう。
徳井さんと私、初めての共同作業である。徳井さんがサインを書いて、私は台紙を押さえる。
縦の糸はあなた、横の糸は私。まさにこの歌詞の通りだった。ありがとう、中島みゆき。(???)
徳井さんは「ありがと」と言ってから私の目をしっかりと見て、微笑みながら握手をしてくれた。
膝から崩れ落ちた。だって、15歳の女の子が今一番好きな人に会えたのだから。
長年応援してきてやっと初めて会えるってこともあるだろうに、私はこんなに大好きな人にこんなにすぐ会えてしまって大丈夫なのだろうか、この先うまくやっていけるのだろうか…と、一気に不安が押し寄せてきた。
高校2年生までコンスタントに吉本の劇場に通っていたが、大学受験を機に一旦お笑いから離れてしまった。
大学に入ってもお笑いが好きということに変わりはなかったが、また劇場に行こうという気には全くならなかった。
というのも大学生になった時、私の知らない若手芸人がたくさん出てきていて追いきれないと思ってしまったからだ。
何かを「知らない」という状態に気持ち悪さを感じる私は、自分が劇場に行っていない間にブレイクした若手芸人を後から追いたくないという謎のプライドがあり、お笑い自体から距離をとっていた。
しゃべくり007などのチュートリアルが出演している番組は見ていたけど、以前のように録画するほどの熱量はなく、見逃していることの方が多かった気がする。
3年前、大学4年生の時に徳井さんに会いに行こうと言ってくれた人がいた。
つまりルミネにチュートリアルの漫才を観に行こうという誘いだった。
誘いを受けなければ自ら徳井義実・チュートリアルを欲さない、そこまでの域に達していた自分に気づく。
しかしその約束の数日前に、その相手からインフルエンザにかかったというLINEが来た。
その連絡を受けて一番に思ったのが
「徳井に会えないのはやばい。」
気づくと私は携帯でチケットよしもとのホームページを開いていた。そして誘われていた公演のチケットを購入していた。
しかもこのチケット購入が、私の人生初クレジット決済である。
バイトの関係で無理やり作らされたクレジットカードを持っていたが、浪費癖のある私は一度も使ったことがなかった。
だがそんなことはどうでもよかった。
「ただチケットが取れればよかった。」まるで犯人の供述である。
その時の記憶もない。たぶん、漫才をやっていた気がする。
まあまあ近い席で久々にチュートリアルを見て、初めてチュートリアルの漫才を観た、あの日の記憶がよみがえる。
空白だった時間が徐々に埋まり、心が満たされていく感覚をたしかに感じていた。
おそらくあの誘いがなければ、私は今こうしてお笑いライブに行っていなかったと思う。
徳井さんに会わせようとしてくれてありがとうと伝えたい。
それから私は数ヶ月に一回のペースでルミネtheよしもとへ行くようになり、M-1グランプリ2017を見てまたお笑い好きが再燃してしまい、2018年の年明けにはよしもとプレミアムメンバー(現FANY IDプレミアムメンバー)、すなわち有料会員になってしまった。
正直、もう昔ほどお笑いを好きになるとは思っていなかった。
チュートリアルのことだって、好きという気持ちもすっかり忘れて、このまま思い出になるだけだと思っていた。
私はずっとチュートリアルが好きだったのだと思う。
一定期間、「好き」という感覚を忘れてしまっていたようだ。
それでも人の気持ちは移り変わるもので、私の気持ちもいつまで続くかは分からない。
今も毎月劇場へチュートリアルを観に行ったり、「京都でチュートリアルを観る」という長年の夢を叶えてしまったりと、オタク人生を謳歌している最中だ。
しかしここ数年、徳井は「(コンビでの活動を)どこかでスパッとやめるかもしれない」とほのめかしている。
その時を迎えたら、私はどんな感情を抱くのか。今は全く想像がつかない。
意外と冷静でいられるかもしれないし、はたまたショックのあまり泣き崩れ仕事を休むかもしれない。
そんなことを今考えたって未来は誰にも分からないので、今を全力で楽しむことに力注いでいこうと思う。
最後に、拝啓 徳井義実様。
あなたのおかげで、私は私自身を認めることができました。
私の人生の味方になってくださり、ありがとうございます。